人の心理とは、思いがけないことで動くからこそ面白いものですが、まもなく公開の話題作で描かれているのも、予測不可能な人間関係について。まさかの実話を基にした映画をご紹介します。それは……。
注目のクライム・スリラー『ストックホルム・ケース』
【映画、ときどき私】 vol. 338
何をやってもうまくいかない悪党のラースは、“自由の国”アメリカに逃れるため、アメリカ人風に変装して、ストックホルムの銀行へ強盗として押し入る。そこで働いていたビアンカという女性ら3名を人質に取り、刑務所から呼び寄せた仲間と一緒にお金と車を要求することに。
ところが、警察が取ったのは、犯人と人質を一緒に銀行のなかに閉じ込めるという作戦。外には報道陣が押し寄せ、事件は長期戦に突入するが、そんななか犯人と人質との間に、不思議な共感が芽生え始めるのだった……。
本作の基になっているのは、1973年に起きた“スウェーデン史上、最も有名な銀行強盗事件”として知られる立てこもり事件。この事件こそが、誘拐事件や監禁事件などの被害者が犯人と長い時間を過ごすことによって、犯人に連帯感や好意的な感情を抱いてしまう「ストックホルム症候群」という心理現象の語源とされています。そこで、こちらの方にさらなる見どころについてお話いただきました。
ロバート・バドロー監督
スウェーデンで実際に起きた事件と「ストックホルム症候群」に魅了されたことをきっかけに、本作を制作したバドロー監督。2015年の『ブルーに生まれついて』に引き続いて、イーサン・ホークさんと再タッグを組んでいることでも注目を集めています。今回は、現場での様子や監督にとってインスピレーションの源となっている存在などについて、語っていただきました。
―まずは、この役をイーサン・ホークさんに演じてほしいと思った理由を教えてください。
監督 この役に必要だったのは、いい人であることを自然と感じさせるものを持っている人で、どんなバカなことや悪いことをしていても思わず応援してしまうような人。それが表現できて、観客を共感させる力を持っている役者はイーサンだと思ったので、彼にお願いしました。
あとは、ストックホルム症候群に陥った相手が恋してしまうような人であることも重要な要素でしたね。よく考えてみると、イーサンが『ブルーに生まれついて』で演じたチェット・ベイカーも、同じような人物だったなと。バカなことをやらかしたり、ダメなところもあったりしたけれど、みんなに愛されていた人物だったというところは似ているかなと感じています。
―では、イーサンさんがこの役を演じてくれたからこそ生まれたシーンもありましたか?
監督 人質であるビアンカと一緒に金庫のなかにいるシーンや変装のために着けていたウィッグを脱ぐシーンではイーサンらしさがすごく発揮されていると思いました。
最初はラース自身も別のキャラクターを演じていたわけですが、ウィッグを取ったことで現れるのは、その人物の本当の姿。ラースの場合は、良き心を持ち、葛藤を抱えていましたが、そういったことがイーサンの素晴らしい演技によって伝わってくるので、彼のすごさが光っているシーンだと感じました。
イーサンとは一緒にベストな方法を見つけることができた
―現場ではイーサンさんの仕事の向き合い方からも、刺激を受けた部分はあったのでは?
監督 そうですね。彼は俳優として活動しているだけではなく、脚本家でもあり、監督でもあるので、一緒に仕事をしていると、どんどんキャラクターに関するアイディアを出して膨らませてくれるんですよ。しかも、そのアイディアがいいものでも、そうではなかったとしても、怖がることなく、とりあえず実験的に試してみるのが彼のやり方。
そういうアプローチの仕方は僕とも似ているし、すごく好きなので、ベストの方法を一緒に見つけていくことができました。それは、前作の現場から引き続き行われていたことだったと思います。
―そのなかで、驚かされたアイディアなどもありましたか?
監督 すごく印象に残っているのは、初日に撮った銀行に押し入るシーンですね。今回の撮影のなかでも、そのときが一番アドリブを入れられる日だったからというのもあったと思います。冒頭では、ラース自身が別のキャラクターを演じているという設定でしたが、それはイーサンにとっては大きな演技ができるということを意味していましたから。
そして、実際にイーサンはいきなりカウンターに飛び乗ったり、クレイジーな演技をしてみたり、たくさんアドリブを入れてきましたよ(笑)。そのときは驚かされましたが、結果的にそのときの彼の演技がこの作品のトーンにもつながっていったと思っています。
あとは、コメディタッチの演技もたくさんしてくれたので、その様子にはワクワクしました。残念ながら、編集の関係ですべては使えませんでしたが、笑えるような楽しいアドリブもいっぱいしてくれたんですよ。それは、前作のときには見られなかった部分なので、非常におもしろかったです。
危険ななかで人間は驚くべき行動を取ることがある
―そういう部分も前作と比較すると、また違う楽しみがありますね。では、ストックホルム症候群についてもおうかがいしますが、そもそもこの題材に興味を持たれたきっかけは何だったのでしょうか?
監督 まずは、ストックホルム症候群の症状というのが、予想以上に早く進行するというのを知ったことが大きかったと思います。というのも、人質にされて生命を脅かされていたのに、その翌日には被害者と犯人との間に絆が生まれ、性的な関係にまで発展してしまうなんて……。
しかも、それは決して必死な思いや不幸な状況にあるからとかではないんですよね。そんなふうに人間というのは、危険な状況にさらされているときに、驚くような行動を取ってしまうところがあるので、そういった部分には非常に惹きつけられました。
―実際に、経験者の方にお話を聞く機会もあったのでしょうか?
監督 事前にリサーチはかなりしましたが、個人的に話を聞くことはありませんでした。ただ、ビアンカ役のノオミ・ラパスの友人にストックホルム症候群を経験した人が複数いたので、彼女から話を聞かせてもらいました。
そのほかにも、スウェーデンの方々にとって、あの事件は忘れられない重要な出来事で、どんな意味を持っているのかということについても教えてくれたので、今回はノオミが僕の情報源だったと言えますね。実際、当時の彼女にとってこの事件がどんな意味を持っていたのかということについても、聞かせてくれました。
―リサーチを重ねるなかで、はじめて知るようなことも多くありましたか?
監督 今回、驚かされたのは、スウェーデンがいかに無垢な国だったのか、ということでした。当時は、人質事件がテレビ中継されたこともなく、そういった事件に対応できる警察組織も存在していなかったようですから。特に、スウェーデンとアメリカでは、政治的背景もまったく異なるので、その違いに驚くことはたくさんありました。
ボブ・ディランの曲がラブストーリーを象徴している
―さまざまなエピソードを聞くなかで、もし自分も同じような立場にいたら、ストックホルム症候群のようになってしまうかも、と感じたこともありましたか?
監督 もちろん状況にもよりますが、自分にも起きうることだなと思いました。というのも、僕はもともと他人をジャッジすることはありませんし、どちらかというと相手のいい面に目を向けるタイプで、共感力も高いほうですから。
おそらくストックホルム症候群を経験した方たちも、同じような性格の人が多いのではないかなと考えています。非常に特殊な状況だと思うので、実際にそのときになってみないとわからないですけど、可能性はあると感じました。
―また、今回は「新しい夜明け」「今宵はきみと」「明日は遠く」「トゥ・ビー・アローン・ウィズ・ユー」などボブ・ディランの曲が効果的に使われています。監督にとって思い入れのある曲はありますか?
監督 「新しい夜明け」は、ディランの楽曲のなかでも大好きなラブソングで、彼のことをアーティストとしてほれ込んだ頃からずっと好きな曲。今回の4曲のなかでは、一番思い入れがあります。作品のなかでも、少し軽い印象を受けるほかの3曲に比べて、この曲はラースとビアンカの間に生まれるラブストーリーを象徴する大事な役割を果たしていると感じました。
今後もさまざまなジャンルに挑んでいきたい
―同じアーティストとして、監督がディランから影響を受けているところはありますか?
監督 たくさんありますね。特に、自分と向き合っている世界に、つねに挑みながら進んでいるところに対しては敬意を持っています。彼が新しいことにどんどんチャレンジしていく姿を見ることが、新しいジャンルや題材に挑戦しようとする映画作家としての僕に影響を与えているのかもしれません。
あと、彼は昔の音楽に新しいアプローチをして命を吹き込むことがありますが、僕も古い映画が大好きで、そこからインスピレーションを得ることもあるので、そういうところも似ているのかなと。彼のドライなユーモアだったり、アウトローに対する愛情だったりという部分も、僕の作品づくりにはすごく影響を及ぼしていると思います。
―そんななか、次はどんな作品に挑戦したいと思っているのか、今後について教えてください。
監督 いまは「Delia's Gone(原題)」という次回作の準備中で、これは前から好きだった田舎を舞台にしたスリラードラマです。そろそろ撮影に入るところなんですが、今回はイーサンのスケジュールが合わなかったので、残念ながら出演は叶いませんでした。でも、彼とはなるべく早くまた一緒に仕事をしたいですね。
あと、これからチャレンジしたいものとして脚本を進めているのは、前からやりたかったSF。それから、西部劇の企画も立ち上がっています。そんなふうに、今後もさまざまなジャンルにどんどん挑んでいきたいです。
あなたなら、どっちの味方になる?
人質立てこもり事件というスリリングな展開を見せるいっぽうで、人と人の間に生まれる絆や感情の揺れ動くさまが丁寧に描かれている本作。どこか憎めないラースの姿に、思わず観客も「ストックホルム症候群」に陥ってしまうかも!?
驚愕の予告編はこちら!
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