上方落語の重鎮で、吉本興業特別顧問の笑福亭仁鶴(しょうふくてい・にかく、本名・岡本武士=おかもと・たけし)さんが17日、骨髄異形成症候群のため、大阪府内の自宅で亡くなった。20日、所属の吉本興業が発表した。84歳だった。

吉本によると、すでに近親者、関係者で葬儀は終えたという。

仁鶴さんは、80歳代に入っても、本拠地のなんばグランド花月など、高座に出演。テレビのレギュラーも複数抱え「健康管理は何もせんのが一番です。笑うことですな」と話していた。

ところが、17年5月下旬頃、いったん体調を崩し、復帰直後だった同年6月に、仁鶴さんが一目ぼれして結婚した夫人を亡くしてからは、ふさぎがちになった。

仁鶴さんは同6月17日、自らを師匠(6代目笑福亭松鶴)の松竹芸能から離れ、吉本興業入りへ導いてくれ、恩義を感じていた3代目林家染丸さんの五十回忌追善興行にこそ、顔を出し、当代の4代目染丸らと「吉本へきて(移籍)なかったら、こんなに自由にやれんかった」と、3代目に感謝する思いを語っていたものの、他のテレビ、舞台出演はすべてキャンセルしていた。

仁鶴さんは、高校時代に初代桂春団治のレコードで落語を聴き、素人参加番組などに出演。62年ごろ、ABCラジオ番組で審査員だった故6代目笑福亭松鶴さんに師事した。素人時代の仲間には、「爆笑王」と呼ばれた天才落語家、故桂枝雀さんがおり、仁鶴さんの前年に3代目桂米朝へ入門していた。

6代目松鶴一門は松竹芸能の所属だったが、仁鶴さんだけは、3代目染丸ら師匠筋が「あいつは多才。吉本向きや」と進言。吉本入りした。「不動坊」「崇徳院」「くっしゃみ講釈」「池田の猪買い」など、多彩な持ちネタがあり、バリトンボイスで操る大阪弁は、言葉に厳しかった故桂米朝さんでさえ一目置く正調ぶりで、独特の高座スタイルは、若き日から風格があった。

一方では、「ヤングおー!おー!」など、テレビ司会者としても人気は絶大で、多くのテレビレギュラーを抱えるとともに、CM出演もあった。多才ぶり、その器用さを見抜いた師匠連が「吉本向き」と判断したようだ。

吉本興業では、会長を務めた故林正之助氏からも敬われ、仁鶴さんは、同社が興行会社からエンターテインメント総合企業へと成長する過程に大きく貢献。05年には、同社の特別顧問に就いた。